メールマガジン2023年3月号
令和5年3月6日
【在セネガル日本大使館メールマガジン 2023/3/6 第10号】
◆ 目次 ◆
1 「伊澤修駐セネガル日本大使挨拶」
2 「大使館からのお知らせ」
3 「寄稿文」
4 「領事便り」
5 「政治・経済」
6 「広報・文化便り」
***********************
1 伊澤修駐セネガル日本大使挨拶
2月は少し寒い日々が続きましたが、最近少し暖かくなり心地よい気候になってきました。皆様如何お過ごしでしょうか。
2月23日にJICA主催によるABEイニシアチブの帰国生報告会が、そして24日にはJOCV40周年記念事業が開催されました。
ABEイニシアチブとは、セネガル人のビジネスマンを日本の企業等に受け入れて研修をさせて技術・ノウハウを習得させると同時に日本企業との関係構築を目指すプロジェクトです。このプロジェクトの意義は大変重要で、これまで本使が当地でお会いしたセネガル進出を考えている日本企業の多くはこの計画で知り合ったセネガル人と協力して事業を進めようとしています。日本ではセネガルのビジネス関連情報は乏しく、また、セネガルは仏語圏なので日本企業にとっては言語上のハンディがあることから、日本企業の進出にとってセネガル人の支援は大変貴重です。ABEイニシアチブはこれまで10年続いていてセネガル人経験者も増えています(71名)。これからはOB達をネットワーク化する等して経験者との効率的連携の確保が重要です。JICAがネットワークを進めていますので大使館は側面支援をしていきます。
JOCVはセネガルにおいて活動を始めてから40年以上にもなります。皆様ご存じの通り協力隊員はセネガル各所で地元に住み、地元住民とともに暮らして協力事業を進めます。途上国ですから隊員の方々も多くの苦労があるでしょうが、若さと気力でそれを乗り越えて活動を続けてきました。その意味で我が国の経済協力の顔であり、セネガル人からは高い評価と感謝が示されています。今回の記念事業ではセネガルにおける協力隊の活動の歴史が振り返られ、とても感動的な話もありました。そして現在セネガルで活躍している7名の協力隊員が元気な姿を見せてくれて、大変頼もしく思いました。コロナにより一時隊員が全員セネガルから引き上げましたが、JICAによれば行く行くは50名以上の隊員がセネガルに来ることになるそうです。楽しみです。
3月2日、3日にはセネガル北部を訪問し、日本のカゴメ社が栽培しているトマトの畑とJICAの進めている稲作技術向上プロジェクトの視察をしました。
サンルイから北の地域はセネガル河の恩恵で緑が広がり、灌漑用水が満々として、水の国日本で育った日本人としてほっとする風景が広がっています。セネガル河はきれいな水を満々と蓄えて緑色に輝き、水辺にはペリカン鳥も群集し、美しい光景に癒されました。
カゴメ社の畑では成熟しかかったトマトが実っていて収穫を待つだけでした。今年も豊作だそうです。森田さんを初め栽培従事者の努力がこうした美しいトマトに実ってよかったと思います。また、JICAの進める稲作技術向上計画が実施されている田んぼは広大で、収穫後で稲はありませんでしたが、この広大な土地に稲穂が育つ光景はさぞ壮観だろうと思いました。ここでも日本を感じました。
カゴメ社のトマト栽培もJICAの米作事業も地元の村人達から大きく感謝されていました。ひとえに日本人関係者たちが地元に入り、寝食を共にして村人たちを共に働き、そして村人たちの生活の向上を真摯に支えてきた、そうした献身の賜物だと思いました。先に述べたJOCVの方々も同様ですが、日本の経済協力や投資は地元の人々と密接に協力しながら地元の生活の向上を目指していますが、その良い例をここでも見ることができました。大変良い視察でした。
この週末は、ダカール駅において、京都精華大学の先生が教師となってマンガワークショップが開かれました。セネガルでは日本のマンガやアニメが人気があり、本使としてはこのマンガ・アニメ人気は日本とセネガルの関係強化に大きな役割を果たすことになるだろうと考えています。土曜日と日曜日に開催されたワークショップでは、幼稚園児から大学生まで、アニメ好きなセネガル人が集まり、熱心に作画に取り組んでいました。慣れない万年筆や筆ペンの扱いに苦労していましたが、それでも自分の作品を仕上げようとする子供達の熱意、真剣な表情が印象的でした。日曜日にはサール経済大臣もご子息連れで来られてワークショップを楽しまれていました。因みに大臣のお嬢様はアニメライターで当館のSNSでも表紙を描いて頂いています。
本年5月に日本のアニメや漫画といったポップカルチャーを紹介するイベントが予定されています。今回のワークショップに参加したセネガル人の子供達の熱気を見て、この5月のイベントの成功を確信しました。
今回のメルマガでは名古屋を拠点に活動するジャロウ駐日ガンビア名誉総領事の寄稿を載せています。ジャロウさんは長年にわたり日本に在住するセネガル等のアフリカ人達の世話をしています。本使も先般の帰国の際に名古屋の彼女の事務所兼アフリカ料理店を訪問しました。この手記を読むと来日当時は大変ご苦労されたようですが、それでもその後日本とアフリカのために尽力されてきました。頭が下がる思いです。彼女の経営するアフリカ料理店にはJOCV等でセネガル等で働いたことのある日本人がアフリカ料理を懐かしがって食べに来るそうです。皆様も機会があれば是非訪問してみてください。
今週は天皇誕生日レセプションを開きます。コロナも沈静化しましたので以前のように300名程のお客さま招待します。レセプションではこれからの日セネガル関係の展望を皆様にお伝えしたいと思います。
2 大使館からのお知らせ
○2023年3月、4月の休館日のお知らせ
4月 4日(火) 独立記念日
4月10日(月) イースター翌月曜日
○天皇誕生日レセプション
3月9日、日本国大使公邸にて天皇誕生日レセプションが開催されます。
○ラマダーンの日程
今年のラマダーンは、3月23日から4月22日までが予定されています。(開始日・終了日ともに多少前後する可能性があります。)
3 寄稿 ージャロウ駐日ガンビア共和国名誉総領事
(※下記寄稿文は当館による日本語訳です。)
(1)はじめに
日本大使館のニュースレターを通じて、私の人生についてお話しする機会をいただき感謝申し上げます。ガンビアと日本という姉妹関係にある2つの国での私の生活や経験について、読者の皆様と共有できることを大変嬉しく思っています。この記事は3つのセクションに分かれています。
まず、私の生い立ちと家族について簡単に説明します。第二に、私がどのようにして日本に来たのか、そして日本での最初の数年間はどのような経験をしてきたのかに触れます。第三に、ガンビアと日本がより密接な関係を築くという私の夢についてお話しします。 在名古屋ガンビア総領事館がどのように設立されたのか、そして私の最後の思いも含めて皆様に共有できればと思います。
(2)私の生い立ちと家族
私はガンビアの首都バンジュールで生まれ、ビントゥ・クジュバイ(Bintou Kujubai)と名付けられました。ジャロウという名前は結婚してからの姓です。ガンビアはアフリカ大陸で最も小さな国で、総面積は1万1000平方キロメートル、人口は約240万人です。西側が大西洋に面するほかはセネガルに囲まれています。東西の長さは約450kmで、西に約80kmの海岸線、東端に約25kmの国境線があり、5つの行政区と2つの自治体で構成されています。ガンビア経済は、主にサービス業、農業、観光業から成り立っています。ガンビアは、セネガルとの間の独特な地理的国境線と人々のホスピタリティから、「西アフリカの微笑みの海岸」と呼ばれています。一方、私は幼いころに家族でラトリ・クンダ(セレクンダ・イースト)に移住し、そこで育ち、日本に移住するまで暮らしてきました。私は7人兄弟の最年長です。兄弟姉妹の名前は次のとおりです。
エッサ、アリー、アラギー、モドゥ・サイードゥ、ヤファトゥ、ヤハディ
私たち兄弟は世界の異なる場所に住んでいますが、素晴らしい関係を保ち、常に連絡を取り合っています。私たちの強い絆は、互いへの愛と自己献身から生まれたものです。ガンビアでは、兄弟が老後まで強い絆で結ばれていることは珍しいことではありません。アフリカの微笑みの海岸では、血縁関係は神聖なものなのです。
14歳のとき、私たちの母親は寝たきりになりました。特に長子の私にとっては大変な時期でした。私は4か月間通学を中断し、母が亡くなるまで看病をしなければなりませんでした。大変なときでも、私は兄弟、特に小さな子供たちのために強くあらねばなりませんでした。この辛い時期、私は兄弟姉妹の「母」にもなっていたのです。
その後、義理の母であるファトゥ・ジャウォが、私と兄弟を育てることになりました。彼女の努力には心から感謝しています。今思えば、大変な時期ではありましたが、一生懸命に私たちを支えてくれた親戚や近所の人たちに感謝しています。
一方、私はその後、学校に戻ることになります。このとき、料理と美容の面白さに目覚め、高校を卒業後、美容について学びました。レストランを持つことが夢でしたが、その夢が日本第3の都市、名古屋市の西区にある中小田井で叶うとは思ってもいませんでした。
(3)結婚と日本への移住
23歳のとき、私は夫と出会い、その後、日本の名古屋に移住しました。夫はガンビア大学で工学を学んでいました。彼は1980年代後半に名古屋大学で工学を学ぶために奨学金を得た最初のガンビア人の一人でした。私は、夫が名古屋で勉強している間、夫のそばにいてサポートするために、夫と一緒に日本に来ました。
残念ながら、名古屋での生活は決して楽なものではありませんでした。幸いなことに、近所の人たちが非常に協力的でした。また、日本食を教えてくれる「日本人ママ」にも恵まれました。彼女の名前は中尾さん。彼女はとても親切で、私をサポートしてくれました。子供たちは彼女のことを「おばちゃん」と呼んでいました。中尾さんのおかげで、私は日本料理が大好きになりました。私は日本人よりたくさん日本食を食べたかもしれません。
私の少ない経験ではありますが、日本人は外国人に対してとても親切で協力的です。しかし、当時は、必ずしも歓迎してくれない人もいましたが、それはどこの国でも普通のことです。私を指さしたり、じっと見たり、嘲笑したりする人もたくさんいました。しかし、私は心の底では、名古屋の人々の中には、私のような人間を初めて見たからそうするのだと思っていました。肌の色や髪の質感など身体的な違いから、そのような反応がされるのだと思いました。それは、私が時々着ているアフリカの服装にも及んでいました。私はこの現実を受け入れ、我慢しようと努めましたが、それでもとても辛かったです。 正式に診断されたわけではありませんが、苦しみ続け、次第にひどく落ち込むようになりました。
その結果、しばらく日本を離れ、イギリスの親戚の家に3か月間滞在することにしました。この間、夫はまだ勉強中でした。 その後、名古屋で夫と再会し、1人目の子供が生まれた頃から、私の人生は良い方向に変わり始めました。その後まもなく、私は名古屋で2人目の子どもを出産することになります。 息子のジャンは現在30歳。 娘のヤシラ・ハディは、現在28歳です。二人とも日本で生まれ、日本で育ちました。彼らは流暢な日本語と中級の英語、そして基本的なウォロフ語(セネガンビアの共通語)が話せます。日本人や他の国籍の人たちと友達になり、私は名古屋が大好きになりました。 名古屋市北区に引っ越すまで、何年も栄に住んでいました。2019年にレストランをオープンする機会を得たのも北区でした。ちょうどパンデミックの前でした。
その経験から、ガンビアやガンビア料理、センガンビア独自の文化について、日本の方々にもっと理解してもらいたいという思いが強くなってきました。長年、私は専業主婦でしたが、多くの組織でパートタイムで働き、イベントに参加して、特に名古屋の人たちにアフリカ文化の様々な側面を伝えてきました。例えば、アフリカ料理を作ったり、アフリカ風の髪型にしたりすることもありました。この数年間を振り返ってみると、私はここで、日本とアフリカ、特にガンビアとの関係を何とか緊密にしたいと思うようになったのだと思います。 この度、領事館を設立することで、私の夢を実現する機会を得たことを嬉しく思います。
(4)概要 - 在名古屋ガンビア共和国名誉領事館
日本におけるガンビア共和国の外交プレゼンスを確立するという私のビジョンは、10年以上前に始まりました。その頃からガンビアの商業、保健、教育、農業分野へのより大きな支援を集めると同時に、観光を促進するため、私はガンビア大使館の設立に向けた行動計画を開始したのです。東京にガンビア大使館を設立するための長年にわたる継続的なボランティア活動の後、ガンビア政府と日本のカウンターパートは2015年に名古屋のガンビア名誉領事館の開設を承認してくれました。
名誉総領事として、私の仕事は完全にボランティアです。報酬はありませんが、日本とガンビアの外交関係強化の維持・推進に貢献する私の役割の重要性を理解しています。 例えば、私は日本に住むガンビア人を支援しています。また、故安倍晋三首相と岸田文雄現首相が歩んできた道をたどり、パートナーシップを通じて日本とガンビアとの距離を縮めることができるのは光栄なことです。
私にとっての外交とは、国家間の関係が国民のために良い形で発展するようできる限りのことをすることです。学術的にはソフトパワーやスマートパワーと呼ばれるものだと理解していますが、私にとっては、パートナーシップ協定を通じて人と人とのコミュニケーションから始まるものなのです。私たちの領事館は、2019年に総領事館に格上げされたことをお伝えします。今日、私は国を代表して、日本とガンビアの絆をより強固なものにするために、官民両セクターと働けることを光栄に思っています。これは10年以上前の私のビジョンであり、現在でも私の努力の中心を占めるものです。私の理解では、この地球上のすべての人にとって、人生は常に挑戦の連続です。しかし、懸命に努力することで、目標に到達できると信じています。
(5)おわりに
私の人生について紹介する機会をいただき、心から感謝しています。また、私は、世界のどこにいても、一生懸命働くことが成功の鍵であり、周りの人に対する愛を忘れないでほしいと強調したく思います。知識は畑のようなもので、耕さねば収穫できません。つまり、畑を耕すこと、手入れをすることが、畑の成長につながるのです。私は、日本とガンビアの外交関係が今後も発展していくことを心から期待しています。そして、日本やガンビアで皆様にお会いできることを楽しみにしています。
拝読いただきありがとうございました。
4 領事便り
<最高裁判所裁判官国民審査制度の改正(在外国民審査制度の創設)>
○最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律が令和4年11月18日に公布され、令和5年2月17日に施行されました。
○今回の最高裁判所裁判官国民審査法の改正により、国外に居住している国民も最高裁判所裁判官国民審査の在外投票ができるようになります。
○在外投票をするには、在外選挙人名簿に登録され、在外選挙人証の交付を受けている必用があります。
○在外選挙人名簿への登録を希望される方は、お早目の申請をお願いします。
※最高裁判所裁判官国民審査は、衆議院議員総選挙と同時に行われます。
5 政治・経済
○ティジャーン教団総カリフ長子との会談
2月21日、伊澤大使はティジャーン教団の総カリフの長子ママドゥ・シ氏と会談を行い、同教団の活動について意見交換を行いました。同氏は、同教団の次世代の総カリフ継承者の筆頭です。
(当日の様子)https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01084.html
○セネガル政府、ウクライナ決議での棄権
2月23日、国連総会緊急特別会合でのウクライナの平和を求める総会決議にて、セネガル政府は棄権しました。
○令和3年度対ギニアビサウ緊急無償資金協力引渡式
2月23日、当館の広瀬参事官は、令和3年度対ギニアビサウ緊急無償資金協力で、コールドチェーン整備のために供与された保冷設備等の供与式に出席しました。
(引渡式の様子)https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01088.html
○JICA海外協力隊事業40周年記念式典
2月24日、JICA海外協力隊事業40周年記念式典が開催され、日本側から伊澤大使、中村JICA理事長特別補佐、森下JICAセネガル事務所所長らが参加しました。
(式典の様子)https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01086.html
○次期セネガル大統領選挙の日程
セネガル政府は、次期大統領選挙が2024年2月25日(日)に実施されると発表しました。
○サル大統領、AU(アフリカ連合)議長の任期満了
2月18日、サル大統領は、昨年2月から1年間務めたAU議長職を満了しました。後任にはアザリ・アスマニ・コモロ大統領が就任しました。サル大統領は、AU議長としてプーチン大統領との会談、国連総会での演説、インドネシアでのG20首脳会合への参加、米アフリカ・リーダーズサミットへの出席、岸田総理との会談等を行いました。
○当館が所掌する4か国(セネガル、カーボベルデ、ガンビア、ギニアビサウ)の政治経済関連の一般情報は、翌月上旬に当館のHP「セネガル基礎情報」及び「新着情報」に「在セネガル大使館月例報告」として掲載しております。ご関心のある方は以下のリンクをご参照ください。
(参考)月例報告:https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01078.html
6 広報・文化便り
○ダカール大学留学説明会
2月9日(木)ダカール大学にて、日本留学に興味のあるセネガル人大学生を対象に留学説明会が開催され、約80名の学生が参加しました。
(当日の様子)https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02m8saqvC244kkDG2Cy6VvKEFgJuNooLTk2CvXo7azicZD2jVe8SpD2h7u4EwHxCrLl&id=100078921276471
〇日本留学フェア
上記のダカール大学に引き続き、2月11日(土)にダカール市内のアフリカ高等経営学センター(CESAG)にて北海道大学とCESAGの共催で、日本留学フェアが実施され、約350名の学生が参加しました。。
(当日の様子)https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01081.html
○マンガワークショップの開催
3月4、5日、京都精華大学とPlanet Aの共催で、ダカール駅においてマンガワークショップが開催されました。
(当日の様子)https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02fr7eUUU5L1oH6nL8oAhwcztjmKRgmh2bN6W1xheLKo7saeWSfzBS3RA3pkcmSEgfl&id=100078921276471
○アブ・バ在日アフリカ人ネットワーク副代表理事による活動紹介
読者の皆様、はじめまして。アブ・バと申します。私はセネガル人コンピューター・エンジニア、起業家であり、現在、多言語を操りながら日本とアフリカの多文化交流の媒介者として活動しています。
私は、バカロレアを取得した後、農学を学ぶためにENSA(国立農学高等学校)に入学し、家族の援助で日本へ留学することになりました。2010年12月、私は寒さの中、日本に到着しました。横浜で日本語の勉強を終えた後、読売理工学院でコンピュータサイエンスの勉強を続け、2014年にコンピュータ工学の学位を取得しました。私は2018年11月からTCSJ(タタ・コンサルタンシー・サービシズ・ジャパン)でコンピューター・アナリストとして働いています。2014年から2018年にかけて、ユニクロ、NEC、三菱ふそうトラック・バスなどいくつかの日本企業で派遣者として働きました。日本での職業生活とは別に、いくつかの団体で活動しています。
・青葉国際交流ラウンジのメンバー
・在日セネガル人留学生・卒業生協会(ASEEJ)会長
・アフリカ・ディアスポラ・ネットワーク・ジャパン(ADNJ)の副代表
・2022年から川崎市の外国人代理人
・赤道アフリカ友の会会員
・サムライシティ(在日セネガル人協会ASJの一組織)副代表
・AFNI CONSYLATNCY SERVICE EN 2020(セネガル)の創設者兼CEO
・HYOLELE TOKYO株式会社とそのセネガル子会社KISAL FONGOLEMI TOKYO SARL (KFT)の共同設立者
これらの協会や組織はすべて、日本とアフリカの関係を近づける活動を行っています。青葉国際交流ラウンジは、青葉区役所(横浜市青葉区)にある外国人の統合を図る団体です。
ASEEJは、セネガル人留学生の日本社会への統合を目的として1995年に設立されました。ADNJは、日本とアフリカの交流の発展のために活動しているアフリカ人と日本人のネットワークです。 川崎市役所の外国人代理人は、川崎市が多文化共生を図るための活動部門です。赤道アフリカ友の会は、日本人と在日アフリカ人が集まり、歴史やアフリカ文化を日本で普及させるために活動しているクラブです。
サムライシティは、セネガルで日本モデルを再現するために活動するセネガル人の協同組合です。AFNI(AFRICA NIPPON) CONSYLATNCY SERVICEは、セネガルと日本を結ぶコンサルタント会社です。イオレレ東京とKFTは、私が日本のパートナーと共にセネガルのアグリビジネス部門を発展させるために設立した若い会社です。
これからも日本とセネガルの交流を促進するためにがんばっていきます。
○当館では、日本関連行事に関する情報を随時募集しております。皆様ご自身が実施される日本関連行事のほか、知り合いの方のご活動等についての情報を( mailmagazine-sn@dk.mofa.go.jp )までお知らせください。毎月末までに原稿をいただければ翌月のメールマガジンに掲載することができます。当館HPやSNSへの掲載は随時行います。
○当館のSNSアカウントは以下のとおりです。日・セネガル関係強化のため、是非ご関心のある投稿のRTやシェア等、皆さまのご協力をお願いいたします。
TW:https://twitter.com/JapanEmbSenegal
FB:https://www.facebook.com/profile.php?id=100078921276471
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[在セネガル日本大使館メールマガジン]
○本メールマガジンに関するご意見・ご要望は以下のメールアドレスあてに送信してください。新規配信登録のご希望もこちらまでお寄せください。
( mailmagazine-sn@dk.mofa.go.jp )
○参考ホームページ
首相官邸ホームページ ( www.kantei.go.jp )
外務省ホームページ ( www.mofa.go.jp/mofaj/ )
当館ホームページ
(https://www.sn.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html )
当館Twitter ( https://twitter.com/JapanEmbSenegal )
当館Facebook
( https://www.facebook.com/profile.php?id=100078921276471 )
○発行:在セネガル日本大使館
Ambassade du Japon au Senegal
Boulevard Martin Luther King, Dakar, Senegal (B.P. 3140)
TEL :(+221)33.849.55.00
FAX :(+221) 33.849.55.55
◆ 目次 ◆
1 「伊澤修駐セネガル日本大使挨拶」
2 「大使館からのお知らせ」
3 「寄稿文」
4 「領事便り」
5 「政治・経済」
6 「広報・文化便り」
***********************
1 伊澤修駐セネガル日本大使挨拶
2月は少し寒い日々が続きましたが、最近少し暖かくなり心地よい気候になってきました。皆様如何お過ごしでしょうか。
2月23日にJICA主催によるABEイニシアチブの帰国生報告会が、そして24日にはJOCV40周年記念事業が開催されました。
ABEイニシアチブとは、セネガル人のビジネスマンを日本の企業等に受け入れて研修をさせて技術・ノウハウを習得させると同時に日本企業との関係構築を目指すプロジェクトです。このプロジェクトの意義は大変重要で、これまで本使が当地でお会いしたセネガル進出を考えている日本企業の多くはこの計画で知り合ったセネガル人と協力して事業を進めようとしています。日本ではセネガルのビジネス関連情報は乏しく、また、セネガルは仏語圏なので日本企業にとっては言語上のハンディがあることから、日本企業の進出にとってセネガル人の支援は大変貴重です。ABEイニシアチブはこれまで10年続いていてセネガル人経験者も増えています(71名)。これからはOB達をネットワーク化する等して経験者との効率的連携の確保が重要です。JICAがネットワークを進めていますので大使館は側面支援をしていきます。
JOCVはセネガルにおいて活動を始めてから40年以上にもなります。皆様ご存じの通り協力隊員はセネガル各所で地元に住み、地元住民とともに暮らして協力事業を進めます。途上国ですから隊員の方々も多くの苦労があるでしょうが、若さと気力でそれを乗り越えて活動を続けてきました。その意味で我が国の経済協力の顔であり、セネガル人からは高い評価と感謝が示されています。今回の記念事業ではセネガルにおける協力隊の活動の歴史が振り返られ、とても感動的な話もありました。そして現在セネガルで活躍している7名の協力隊員が元気な姿を見せてくれて、大変頼もしく思いました。コロナにより一時隊員が全員セネガルから引き上げましたが、JICAによれば行く行くは50名以上の隊員がセネガルに来ることになるそうです。楽しみです。
3月2日、3日にはセネガル北部を訪問し、日本のカゴメ社が栽培しているトマトの畑とJICAの進めている稲作技術向上プロジェクトの視察をしました。
サンルイから北の地域はセネガル河の恩恵で緑が広がり、灌漑用水が満々として、水の国日本で育った日本人としてほっとする風景が広がっています。セネガル河はきれいな水を満々と蓄えて緑色に輝き、水辺にはペリカン鳥も群集し、美しい光景に癒されました。
カゴメ社の畑では成熟しかかったトマトが実っていて収穫を待つだけでした。今年も豊作だそうです。森田さんを初め栽培従事者の努力がこうした美しいトマトに実ってよかったと思います。また、JICAの進める稲作技術向上計画が実施されている田んぼは広大で、収穫後で稲はありませんでしたが、この広大な土地に稲穂が育つ光景はさぞ壮観だろうと思いました。ここでも日本を感じました。
カゴメ社のトマト栽培もJICAの米作事業も地元の村人達から大きく感謝されていました。ひとえに日本人関係者たちが地元に入り、寝食を共にして村人たちを共に働き、そして村人たちの生活の向上を真摯に支えてきた、そうした献身の賜物だと思いました。先に述べたJOCVの方々も同様ですが、日本の経済協力や投資は地元の人々と密接に協力しながら地元の生活の向上を目指していますが、その良い例をここでも見ることができました。大変良い視察でした。
この週末は、ダカール駅において、京都精華大学の先生が教師となってマンガワークショップが開かれました。セネガルでは日本のマンガやアニメが人気があり、本使としてはこのマンガ・アニメ人気は日本とセネガルの関係強化に大きな役割を果たすことになるだろうと考えています。土曜日と日曜日に開催されたワークショップでは、幼稚園児から大学生まで、アニメ好きなセネガル人が集まり、熱心に作画に取り組んでいました。慣れない万年筆や筆ペンの扱いに苦労していましたが、それでも自分の作品を仕上げようとする子供達の熱意、真剣な表情が印象的でした。日曜日にはサール経済大臣もご子息連れで来られてワークショップを楽しまれていました。因みに大臣のお嬢様はアニメライターで当館のSNSでも表紙を描いて頂いています。
本年5月に日本のアニメや漫画といったポップカルチャーを紹介するイベントが予定されています。今回のワークショップに参加したセネガル人の子供達の熱気を見て、この5月のイベントの成功を確信しました。
今回のメルマガでは名古屋を拠点に活動するジャロウ駐日ガンビア名誉総領事の寄稿を載せています。ジャロウさんは長年にわたり日本に在住するセネガル等のアフリカ人達の世話をしています。本使も先般の帰国の際に名古屋の彼女の事務所兼アフリカ料理店を訪問しました。この手記を読むと来日当時は大変ご苦労されたようですが、それでもその後日本とアフリカのために尽力されてきました。頭が下がる思いです。彼女の経営するアフリカ料理店にはJOCV等でセネガル等で働いたことのある日本人がアフリカ料理を懐かしがって食べに来るそうです。皆様も機会があれば是非訪問してみてください。
今週は天皇誕生日レセプションを開きます。コロナも沈静化しましたので以前のように300名程のお客さま招待します。レセプションではこれからの日セネガル関係の展望を皆様にお伝えしたいと思います。
2 大使館からのお知らせ
○2023年3月、4月の休館日のお知らせ
4月 4日(火) 独立記念日
4月10日(月) イースター翌月曜日
○天皇誕生日レセプション
3月9日、日本国大使公邸にて天皇誕生日レセプションが開催されます。
○ラマダーンの日程
今年のラマダーンは、3月23日から4月22日までが予定されています。(開始日・終了日ともに多少前後する可能性があります。)
3 寄稿 ージャロウ駐日ガンビア共和国名誉総領事
(※下記寄稿文は当館による日本語訳です。)
(1)はじめに
日本大使館のニュースレターを通じて、私の人生についてお話しする機会をいただき感謝申し上げます。ガンビアと日本という姉妹関係にある2つの国での私の生活や経験について、読者の皆様と共有できることを大変嬉しく思っています。この記事は3つのセクションに分かれています。
まず、私の生い立ちと家族について簡単に説明します。第二に、私がどのようにして日本に来たのか、そして日本での最初の数年間はどのような経験をしてきたのかに触れます。第三に、ガンビアと日本がより密接な関係を築くという私の夢についてお話しします。 在名古屋ガンビア総領事館がどのように設立されたのか、そして私の最後の思いも含めて皆様に共有できればと思います。
(2)私の生い立ちと家族
私はガンビアの首都バンジュールで生まれ、ビントゥ・クジュバイ(Bintou Kujubai)と名付けられました。ジャロウという名前は結婚してからの姓です。ガンビアはアフリカ大陸で最も小さな国で、総面積は1万1000平方キロメートル、人口は約240万人です。西側が大西洋に面するほかはセネガルに囲まれています。東西の長さは約450kmで、西に約80kmの海岸線、東端に約25kmの国境線があり、5つの行政区と2つの自治体で構成されています。ガンビア経済は、主にサービス業、農業、観光業から成り立っています。ガンビアは、セネガルとの間の独特な地理的国境線と人々のホスピタリティから、「西アフリカの微笑みの海岸」と呼ばれています。一方、私は幼いころに家族でラトリ・クンダ(セレクンダ・イースト)に移住し、そこで育ち、日本に移住するまで暮らしてきました。私は7人兄弟の最年長です。兄弟姉妹の名前は次のとおりです。
エッサ、アリー、アラギー、モドゥ・サイードゥ、ヤファトゥ、ヤハディ
私たち兄弟は世界の異なる場所に住んでいますが、素晴らしい関係を保ち、常に連絡を取り合っています。私たちの強い絆は、互いへの愛と自己献身から生まれたものです。ガンビアでは、兄弟が老後まで強い絆で結ばれていることは珍しいことではありません。アフリカの微笑みの海岸では、血縁関係は神聖なものなのです。
14歳のとき、私たちの母親は寝たきりになりました。特に長子の私にとっては大変な時期でした。私は4か月間通学を中断し、母が亡くなるまで看病をしなければなりませんでした。大変なときでも、私は兄弟、特に小さな子供たちのために強くあらねばなりませんでした。この辛い時期、私は兄弟姉妹の「母」にもなっていたのです。
その後、義理の母であるファトゥ・ジャウォが、私と兄弟を育てることになりました。彼女の努力には心から感謝しています。今思えば、大変な時期ではありましたが、一生懸命に私たちを支えてくれた親戚や近所の人たちに感謝しています。
一方、私はその後、学校に戻ることになります。このとき、料理と美容の面白さに目覚め、高校を卒業後、美容について学びました。レストランを持つことが夢でしたが、その夢が日本第3の都市、名古屋市の西区にある中小田井で叶うとは思ってもいませんでした。
(3)結婚と日本への移住
23歳のとき、私は夫と出会い、その後、日本の名古屋に移住しました。夫はガンビア大学で工学を学んでいました。彼は1980年代後半に名古屋大学で工学を学ぶために奨学金を得た最初のガンビア人の一人でした。私は、夫が名古屋で勉強している間、夫のそばにいてサポートするために、夫と一緒に日本に来ました。
残念ながら、名古屋での生活は決して楽なものではありませんでした。幸いなことに、近所の人たちが非常に協力的でした。また、日本食を教えてくれる「日本人ママ」にも恵まれました。彼女の名前は中尾さん。彼女はとても親切で、私をサポートしてくれました。子供たちは彼女のことを「おばちゃん」と呼んでいました。中尾さんのおかげで、私は日本料理が大好きになりました。私は日本人よりたくさん日本食を食べたかもしれません。
私の少ない経験ではありますが、日本人は外国人に対してとても親切で協力的です。しかし、当時は、必ずしも歓迎してくれない人もいましたが、それはどこの国でも普通のことです。私を指さしたり、じっと見たり、嘲笑したりする人もたくさんいました。しかし、私は心の底では、名古屋の人々の中には、私のような人間を初めて見たからそうするのだと思っていました。肌の色や髪の質感など身体的な違いから、そのような反応がされるのだと思いました。それは、私が時々着ているアフリカの服装にも及んでいました。私はこの現実を受け入れ、我慢しようと努めましたが、それでもとても辛かったです。 正式に診断されたわけではありませんが、苦しみ続け、次第にひどく落ち込むようになりました。
その結果、しばらく日本を離れ、イギリスの親戚の家に3か月間滞在することにしました。この間、夫はまだ勉強中でした。 その後、名古屋で夫と再会し、1人目の子供が生まれた頃から、私の人生は良い方向に変わり始めました。その後まもなく、私は名古屋で2人目の子どもを出産することになります。 息子のジャンは現在30歳。 娘のヤシラ・ハディは、現在28歳です。二人とも日本で生まれ、日本で育ちました。彼らは流暢な日本語と中級の英語、そして基本的なウォロフ語(セネガンビアの共通語)が話せます。日本人や他の国籍の人たちと友達になり、私は名古屋が大好きになりました。 名古屋市北区に引っ越すまで、何年も栄に住んでいました。2019年にレストランをオープンする機会を得たのも北区でした。ちょうどパンデミックの前でした。
その経験から、ガンビアやガンビア料理、センガンビア独自の文化について、日本の方々にもっと理解してもらいたいという思いが強くなってきました。長年、私は専業主婦でしたが、多くの組織でパートタイムで働き、イベントに参加して、特に名古屋の人たちにアフリカ文化の様々な側面を伝えてきました。例えば、アフリカ料理を作ったり、アフリカ風の髪型にしたりすることもありました。この数年間を振り返ってみると、私はここで、日本とアフリカ、特にガンビアとの関係を何とか緊密にしたいと思うようになったのだと思います。 この度、領事館を設立することで、私の夢を実現する機会を得たことを嬉しく思います。
(4)概要 - 在名古屋ガンビア共和国名誉領事館
日本におけるガンビア共和国の外交プレゼンスを確立するという私のビジョンは、10年以上前に始まりました。その頃からガンビアの商業、保健、教育、農業分野へのより大きな支援を集めると同時に、観光を促進するため、私はガンビア大使館の設立に向けた行動計画を開始したのです。東京にガンビア大使館を設立するための長年にわたる継続的なボランティア活動の後、ガンビア政府と日本のカウンターパートは2015年に名古屋のガンビア名誉領事館の開設を承認してくれました。
名誉総領事として、私の仕事は完全にボランティアです。報酬はありませんが、日本とガンビアの外交関係強化の維持・推進に貢献する私の役割の重要性を理解しています。 例えば、私は日本に住むガンビア人を支援しています。また、故安倍晋三首相と岸田文雄現首相が歩んできた道をたどり、パートナーシップを通じて日本とガンビアとの距離を縮めることができるのは光栄なことです。
私にとっての外交とは、国家間の関係が国民のために良い形で発展するようできる限りのことをすることです。学術的にはソフトパワーやスマートパワーと呼ばれるものだと理解していますが、私にとっては、パートナーシップ協定を通じて人と人とのコミュニケーションから始まるものなのです。私たちの領事館は、2019年に総領事館に格上げされたことをお伝えします。今日、私は国を代表して、日本とガンビアの絆をより強固なものにするために、官民両セクターと働けることを光栄に思っています。これは10年以上前の私のビジョンであり、現在でも私の努力の中心を占めるものです。私の理解では、この地球上のすべての人にとって、人生は常に挑戦の連続です。しかし、懸命に努力することで、目標に到達できると信じています。
(5)おわりに
私の人生について紹介する機会をいただき、心から感謝しています。また、私は、世界のどこにいても、一生懸命働くことが成功の鍵であり、周りの人に対する愛を忘れないでほしいと強調したく思います。知識は畑のようなもので、耕さねば収穫できません。つまり、畑を耕すこと、手入れをすることが、畑の成長につながるのです。私は、日本とガンビアの外交関係が今後も発展していくことを心から期待しています。そして、日本やガンビアで皆様にお会いできることを楽しみにしています。
拝読いただきありがとうございました。
4 領事便り
<最高裁判所裁判官国民審査制度の改正(在外国民審査制度の創設)>
○最高裁判所裁判官国民審査法の一部を改正する法律が令和4年11月18日に公布され、令和5年2月17日に施行されました。
○今回の最高裁判所裁判官国民審査法の改正により、国外に居住している国民も最高裁判所裁判官国民審査の在外投票ができるようになります。
○在外投票をするには、在外選挙人名簿に登録され、在外選挙人証の交付を受けている必用があります。
○在外選挙人名簿への登録を希望される方は、お早目の申請をお願いします。
※最高裁判所裁判官国民審査は、衆議院議員総選挙と同時に行われます。
5 政治・経済
○ティジャーン教団総カリフ長子との会談
2月21日、伊澤大使はティジャーン教団の総カリフの長子ママドゥ・シ氏と会談を行い、同教団の活動について意見交換を行いました。同氏は、同教団の次世代の総カリフ継承者の筆頭です。
(当日の様子)https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01084.html
○セネガル政府、ウクライナ決議での棄権
2月23日、国連総会緊急特別会合でのウクライナの平和を求める総会決議にて、セネガル政府は棄権しました。
○令和3年度対ギニアビサウ緊急無償資金協力引渡式
2月23日、当館の広瀬参事官は、令和3年度対ギニアビサウ緊急無償資金協力で、コールドチェーン整備のために供与された保冷設備等の供与式に出席しました。
(引渡式の様子)https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01088.html
○JICA海外協力隊事業40周年記念式典
2月24日、JICA海外協力隊事業40周年記念式典が開催され、日本側から伊澤大使、中村JICA理事長特別補佐、森下JICAセネガル事務所所長らが参加しました。
(式典の様子)https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01086.html
○次期セネガル大統領選挙の日程
セネガル政府は、次期大統領選挙が2024年2月25日(日)に実施されると発表しました。
○サル大統領、AU(アフリカ連合)議長の任期満了
2月18日、サル大統領は、昨年2月から1年間務めたAU議長職を満了しました。後任にはアザリ・アスマニ・コモロ大統領が就任しました。サル大統領は、AU議長としてプーチン大統領との会談、国連総会での演説、インドネシアでのG20首脳会合への参加、米アフリカ・リーダーズサミットへの出席、岸田総理との会談等を行いました。
○当館が所掌する4か国(セネガル、カーボベルデ、ガンビア、ギニアビサウ)の政治経済関連の一般情報は、翌月上旬に当館のHP「セネガル基礎情報」及び「新着情報」に「在セネガル大使館月例報告」として掲載しております。ご関心のある方は以下のリンクをご参照ください。
(参考)月例報告:https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01078.html
6 広報・文化便り
○ダカール大学留学説明会
2月9日(木)ダカール大学にて、日本留学に興味のあるセネガル人大学生を対象に留学説明会が開催され、約80名の学生が参加しました。
(当日の様子)https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02m8saqvC244kkDG2Cy6VvKEFgJuNooLTk2CvXo7azicZD2jVe8SpD2h7u4EwHxCrLl&id=100078921276471
〇日本留学フェア
上記のダカール大学に引き続き、2月11日(土)にダカール市内のアフリカ高等経営学センター(CESAG)にて北海道大学とCESAGの共催で、日本留学フェアが実施され、約350名の学生が参加しました。。
(当日の様子)https://www.sn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/11_000001_01081.html
○マンガワークショップの開催
3月4、5日、京都精華大学とPlanet Aの共催で、ダカール駅においてマンガワークショップが開催されました。
(当日の様子)https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=pfbid02fr7eUUU5L1oH6nL8oAhwcztjmKRgmh2bN6W1xheLKo7saeWSfzBS3RA3pkcmSEgfl&id=100078921276471
○アブ・バ在日アフリカ人ネットワーク副代表理事による活動紹介
読者の皆様、はじめまして。アブ・バと申します。私はセネガル人コンピューター・エンジニア、起業家であり、現在、多言語を操りながら日本とアフリカの多文化交流の媒介者として活動しています。
私は、バカロレアを取得した後、農学を学ぶためにENSA(国立農学高等学校)に入学し、家族の援助で日本へ留学することになりました。2010年12月、私は寒さの中、日本に到着しました。横浜で日本語の勉強を終えた後、読売理工学院でコンピュータサイエンスの勉強を続け、2014年にコンピュータ工学の学位を取得しました。私は2018年11月からTCSJ(タタ・コンサルタンシー・サービシズ・ジャパン)でコンピューター・アナリストとして働いています。2014年から2018年にかけて、ユニクロ、NEC、三菱ふそうトラック・バスなどいくつかの日本企業で派遣者として働きました。日本での職業生活とは別に、いくつかの団体で活動しています。
・青葉国際交流ラウンジのメンバー
・在日セネガル人留学生・卒業生協会(ASEEJ)会長
・アフリカ・ディアスポラ・ネットワーク・ジャパン(ADNJ)の副代表
・2022年から川崎市の外国人代理人
・赤道アフリカ友の会会員
・サムライシティ(在日セネガル人協会ASJの一組織)副代表
・AFNI CONSYLATNCY SERVICE EN 2020(セネガル)の創設者兼CEO
・HYOLELE TOKYO株式会社とそのセネガル子会社KISAL FONGOLEMI TOKYO SARL (KFT)の共同設立者
これらの協会や組織はすべて、日本とアフリカの関係を近づける活動を行っています。青葉国際交流ラウンジは、青葉区役所(横浜市青葉区)にある外国人の統合を図る団体です。
ASEEJは、セネガル人留学生の日本社会への統合を目的として1995年に設立されました。ADNJは、日本とアフリカの交流の発展のために活動しているアフリカ人と日本人のネットワークです。 川崎市役所の外国人代理人は、川崎市が多文化共生を図るための活動部門です。赤道アフリカ友の会は、日本人と在日アフリカ人が集まり、歴史やアフリカ文化を日本で普及させるために活動しているクラブです。
サムライシティは、セネガルで日本モデルを再現するために活動するセネガル人の協同組合です。AFNI(AFRICA NIPPON) CONSYLATNCY SERVICEは、セネガルと日本を結ぶコンサルタント会社です。イオレレ東京とKFTは、私が日本のパートナーと共にセネガルのアグリビジネス部門を発展させるために設立した若い会社です。
これからも日本とセネガルの交流を促進するためにがんばっていきます。
○当館では、日本関連行事に関する情報を随時募集しております。皆様ご自身が実施される日本関連行事のほか、知り合いの方のご活動等についての情報を( mailmagazine-sn@dk.mofa.go.jp )までお知らせください。毎月末までに原稿をいただければ翌月のメールマガジンに掲載することができます。当館HPやSNSへの掲載は随時行います。
○当館のSNSアカウントは以下のとおりです。日・セネガル関係強化のため、是非ご関心のある投稿のRTやシェア等、皆さまのご協力をお願いいたします。
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