メールマガジン2025年6月号
令和7年6月4日
在セネガル日本国大使館のメルマガをお読みいただいているみなさまへ、
先月のメルマガは、岩屋外務大臣の当地訪問(4月29-30日)で終わっていました。5月になって、一足早い夏ばてに加え、少しダウン気味だったのは「5月病」のせいだったのかもしれません。
とはいえ、15日にはンブール県に出かけ、ジョアール漁港の改修計画の起工式に臨みました。強い日差しの中、セネガル側出席者の到着が大幅に遅れ少々消耗したのですが、当初予定していた漁業大臣に加え、インフラ担当大臣、それに青少年・スポーツ担当大臣まで出席する大々的な式典となり、地方零細漁業がこの国の水産業の発展に占めている役割の大きさと関心の高さに改めて気づかされました。加えてジョアール市長は前閣僚ということもあって、政治家同士のちょっとした意地の張り合いのような様子をみるにつけ、こればかりはアフリカの地でも日本と大きく変わることはないと変なところに感心しました。式典の準備およびこれから工事に取り組まれる大日本土木株式会社ほかの皆様、お疲れ様です。そういえばジョアールにはサンゴール大統領の生家が記念館としてあるようですね。次回は時間をとって訪れてみたいと思います。
20日には急遽カザマンスに赴きました。ファル外務大臣から「一度カザマンスに一緒に行って地雷除去について話し合いましょう」というお誘いを受けていたものの、日程がなかなか決まらず直前の週末にようやく他の外交団とともに旧空港から軍用機で1時間ほどのカザマンスに到着しました。
ジガンショール空港が改修中でキャップ・スキリングからさらに陸路1時間半かけてたどり着いたら、なんとそこはインドが国連開発計画(UNDP)とともに実施する地雷除去プログラムの発足式の会場。どうりでインド大使が居る訳です。彼は彼で「なんでインドのプロジェクトに他の大使連中がくるのだ?」と少々あきれ顔。ともあれ、めでたく計画の調印式を終えた後は、急遽スケジュールを変更して欧州系NGOが地雷除去活動を行っているサイトに移動してこれまでの活動についての説明などを受け、また逆のルートでダカールに戻ってきました。朝6時半起きでスタートした長い一日は13時間かかってようやく終わり、少々疲れました。
もっとも日本に対する注目度は高く、「日本の協力で新たな地雷除去機材を提供する。6月末にもダカールにコマツの機材が到着する。」とスピーチで述べたら地域の人たちから大きな拍手がわき上がりました。ちなみに地雷除去活動に対する支援は機材の供与だけではなく、セネガルの地雷対策能力の向上につながる人材育成計画を調整中です。将来セネガルが自国だけではなく、周辺国に地雷除去のノウハウを提供できることを目指してほしいと願っています。
27日には今年1月にJICAの招待で日本を訪れていた教育大臣の「報告会・シンポジウム」が行われました。日本の教育制度をかなり真剣に視察してきたようであり、セネガル全土から集められた教育関係者といわばワークショップでその「成果」が披露され、セネガルの教育制度改革に向けて議論にいっそう拍車がかかったようでした。
そうそう30日には、当地で国際機関に勤務されている邦人職員の皆様による勉強会にお邪魔しました。米国政権の方針転換による影響は国連を含む国際機関も例外でなく、それぞれの機関でもいろいろ議論が始まっている様子が理解できました。実は国際機関に勤務する邦人職員を任地を超えて横につなぐネットワークがあり、いずれダカールの勉強会もこのネットワークに加えて戴きたいと感じた次第です。
この間、週末の24日には、補習校の生徒さん達と関係者を中心に公邸に集まっていただき、恒例のプール開きをおこないました。今年は「子供はプール、大人はビール」という隠れテーマの下、大勢の方にお越し戴き楽しいひとときを過ごしました。夏らしくスイカ割りも行いましたが、セネガルのスイカは皮が厚いのか、子供たちではなかなか割れず棒の方が何度も折れましたので、来年に向けて技術革新が望まれるところです。なお、昨年は毎週土曜日午後プールを開放していましたが、安全管理のための大人の立ち会いがハードルだったのか、利用者が少なかったようです。ですので、今年は「大人が来たくなるようなプール(ビールではない)」を目指し企画を考えていきたいと思います。なにかよいアイデアがあれば是非お知らせください。
そんなこんなであっという間に5月も終わり、ようやく6月1日には着任してから初めて雨が降り、そろそろ「5月病」も終わらせないと、と季節の移り変わりを感じているところです。
本格的な暑さが近づいているようです。どうぞ皆様お元気でお過ごしください。
それではまた、来月お目にかかります。
赤松 武
先月のメルマガは、岩屋外務大臣の当地訪問(4月29-30日)で終わっていました。5月になって、一足早い夏ばてに加え、少しダウン気味だったのは「5月病」のせいだったのかもしれません。
とはいえ、15日にはンブール県に出かけ、ジョアール漁港の改修計画の起工式に臨みました。強い日差しの中、セネガル側出席者の到着が大幅に遅れ少々消耗したのですが、当初予定していた漁業大臣に加え、インフラ担当大臣、それに青少年・スポーツ担当大臣まで出席する大々的な式典となり、地方零細漁業がこの国の水産業の発展に占めている役割の大きさと関心の高さに改めて気づかされました。加えてジョアール市長は前閣僚ということもあって、政治家同士のちょっとした意地の張り合いのような様子をみるにつけ、こればかりはアフリカの地でも日本と大きく変わることはないと変なところに感心しました。式典の準備およびこれから工事に取り組まれる大日本土木株式会社ほかの皆様、お疲れ様です。そういえばジョアールにはサンゴール大統領の生家が記念館としてあるようですね。次回は時間をとって訪れてみたいと思います。
20日には急遽カザマンスに赴きました。ファル外務大臣から「一度カザマンスに一緒に行って地雷除去について話し合いましょう」というお誘いを受けていたものの、日程がなかなか決まらず直前の週末にようやく他の外交団とともに旧空港から軍用機で1時間ほどのカザマンスに到着しました。
ジガンショール空港が改修中でキャップ・スキリングからさらに陸路1時間半かけてたどり着いたら、なんとそこはインドが国連開発計画(UNDP)とともに実施する地雷除去プログラムの発足式の会場。どうりでインド大使が居る訳です。彼は彼で「なんでインドのプロジェクトに他の大使連中がくるのだ?」と少々あきれ顔。ともあれ、めでたく計画の調印式を終えた後は、急遽スケジュールを変更して欧州系NGOが地雷除去活動を行っているサイトに移動してこれまでの活動についての説明などを受け、また逆のルートでダカールに戻ってきました。朝6時半起きでスタートした長い一日は13時間かかってようやく終わり、少々疲れました。
もっとも日本に対する注目度は高く、「日本の協力で新たな地雷除去機材を提供する。6月末にもダカールにコマツの機材が到着する。」とスピーチで述べたら地域の人たちから大きな拍手がわき上がりました。ちなみに地雷除去活動に対する支援は機材の供与だけではなく、セネガルの地雷対策能力の向上につながる人材育成計画を調整中です。将来セネガルが自国だけではなく、周辺国に地雷除去のノウハウを提供できることを目指してほしいと願っています。
27日には今年1月にJICAの招待で日本を訪れていた教育大臣の「報告会・シンポジウム」が行われました。日本の教育制度をかなり真剣に視察してきたようであり、セネガル全土から集められた教育関係者といわばワークショップでその「成果」が披露され、セネガルの教育制度改革に向けて議論にいっそう拍車がかかったようでした。
そうそう30日には、当地で国際機関に勤務されている邦人職員の皆様による勉強会にお邪魔しました。米国政権の方針転換による影響は国連を含む国際機関も例外でなく、それぞれの機関でもいろいろ議論が始まっている様子が理解できました。実は国際機関に勤務する邦人職員を任地を超えて横につなぐネットワークがあり、いずれダカールの勉強会もこのネットワークに加えて戴きたいと感じた次第です。
この間、週末の24日には、補習校の生徒さん達と関係者を中心に公邸に集まっていただき、恒例のプール開きをおこないました。今年は「子供はプール、大人はビール」という隠れテーマの下、大勢の方にお越し戴き楽しいひとときを過ごしました。夏らしくスイカ割りも行いましたが、セネガルのスイカは皮が厚いのか、子供たちではなかなか割れず棒の方が何度も折れましたので、来年に向けて技術革新が望まれるところです。なお、昨年は毎週土曜日午後プールを開放していましたが、安全管理のための大人の立ち会いがハードルだったのか、利用者が少なかったようです。ですので、今年は「大人が来たくなるようなプール(ビールではない)」を目指し企画を考えていきたいと思います。なにかよいアイデアがあれば是非お知らせください。
そんなこんなであっという間に5月も終わり、ようやく6月1日には着任してから初めて雨が降り、そろそろ「5月病」も終わらせないと、と季節の移り変わりを感じているところです。
本格的な暑さが近づいているようです。どうぞ皆様お元気でお過ごしください。
それではまた、来月お目にかかります。
赤松 武